禅寺小僧

日々の記です。

悪者は誰だ。

アジア

ずるずる、ムシャクシャ、ヘックシュン、かゆいカユイ
といったことから発生するストレスと薬を買うための
費用損失、および経済効果といったものは莫大なのだろうとおもう。
ちり紙の消費も春になると増えるに違いない。スギのおかげで。
     
カラダの中で何がどうなって症状となっているのかはわからない。
色々複雑に条件がからみあって、眼が痒くなるひと、鼻水がでる人、
クシャミをする人、顔が痒い人など個人個人によっていろいろなところに
でてくる。首から上というのが共通点ではあるけれど。
      
仏教では縁起という言葉を使うけれど、物事の成り立ちは原因がひとつではない。
自分という人間ひとりがこの世に現れるにしても莫大な数の原因の積み重ねのなか
で、奇跡のような確立でもって生まれてくるのだ。そのうちのどれ一つが欠けても
現在の自分というものはない。だからこそ現在の自分というものは尊いのだけど
何が原因で生まれてきた、とはっきりと一つで示すことはできない。あらゆるものの
連なりの中で生まれた、ということならできるけれど。
      
けれど花粉症という病名?症状名?を患者に与えられた途端、悪い原因は、はっきりと
スギの花粉だ、ということになる。スギの花粉の顕微鏡写真が、風に吹かれてもうもうと
雲のように飛んでゆく黄色い煙幕のような花粉のテレビ映像が眼にうかばないか。
背後の、朦朧たる、目に見えない、視覚化できない膨大で意識さえできないような
原因のつらなりのなかから出て来ていた症状にスギ花粉症という名前をもらった途端、
犯人はスギ花粉になり、眼のカタキにされる。人間は意識化できる眼に見える犯人を
探したがる。そしてスギさえなければ、こんな目にあわんですむのに、と思う。
花粉症の人からはスギの木を切ってくれ。と電話がかかってくる。症状に苦しむ人の
ことを思えば切ったほうがいいとおもう。けれど原因をスギの木にばかり押し付ける
のも、ちょっとスギがかわいそうな気もしている。
      
   
せ。