禅寺小僧

日々の記です。

塔のある風景

アジア

なんてこった。せっかく書いたのがなくなってるじゃないの。
跡形も何にもない。写真だけ残ったみたいだけど。

久しぶりに畏友G氏の写真を見させていただいた。
やはりプロなんだ、と思う。撮り方が硬質で画面が構築してある。
撮影に対する意思を感じるね。カメラのこちら側でファインダーを覗いて
写真を作っていく人の積み重なった気配を感じる。その点、私のはフラフラ
撮ってるな、という感じだかね。なんといってもアマチュアですから。
プロっぽくなくていいな、と自分では思った次第。いくらか負け惜しみも
含んでいますがネ。

G氏の写真にはしばしばエッフェル塔が登場する。俺からいわせれば、
この塔ほど写真家おもいのやつはいない。写真のどこかにこの塔が写って
いれば、それだけでもう、パリの写真になっちゃうじゃないか。
エッフェル塔が偉いんである。広い平野にすっくとシルエットで鉄骨の塔が
写っている。塔の下の建物ではどこの国だかわからないけれど、一本の塔で
誰にでも、はっきりと、それがどこで撮られたものだか知れわたる。
あの塔のシルエットはなんだか我々の潜在意識のなかにまで入っている。
そこから呼び起こされるものがおびただしくある。それは歴史であり、芸術であり、
文化であり、人間の生活している街の風景だ。たとえ記念写真でも
塔が写っていたら作品になる。気持ちよく落ちるシャッターの音がしないか。

カメラを向けたらどこでも写真になるような街に住みたい。
日常には撮りたいものなど、あまりないかもしれないけれど、
何もヨーロッパの大都市でなくても、アジアの片隅の貧しい国であっても
カメラを向けてみたい場所は限りなくある。
自分の生まれた国や街もそうであって欲しい。

せ。