禅寺小僧

日々の記です。

自由人でありたい。

 自由について以前から書きたいとは何度も思うのだけど。
なかなか書き出しが決まらない。
現代では自由というと好き放題するぐらいの意味だけど
もともと自由自在のことだった。自らに由って自ら在る。
ということ。日本は自由主義社会なのだろうけど、最近とくに
酷い事件が多いように思います。刺したり、殺したりのことなのだけど、
カッとなってやった、とか、事件のとき心神耗弱であったとかで、
一時の感情に流されて、事件を起こした、なんていうのが多いのじゃなかろうか。
その時、感情や激情に支配されて、自分がない。ということがあるのじゃなかろうか。
自由というのが本来、自らに由って、自ら在る。という定義ならば
そのとき自分がないのだとしたら、自由じゃなかったかなかろうか、
とおもうのだけど、どうだろう。

 もう一つ以前から気になっているのが「フリーター」だ。
フリーターは本当に自由人なんだろうか。
好きなときに働いて、好きなときに休む。けれど何かやっぱり
社会に縛られているような気がするのは俺だけだろうか。

 臨済禅師は「ただ他人の言葉にまどわされるな」
といったけれども、俺たちは惑わされてばかりいるようだ。
世間で流行っている「振り込め詐欺」もそうだ。