禅寺小僧

日々の記です。

くじら 再

hekigyokuan2005-02-02

東京で働いているヤツがいて、
仕事帰りに英会話教室に行くこともあるらしい。
先生はみんな外国人、だったかどうか聞き忘れたけど、
その日その日のテーマを講師の先生が言って、
生徒はそれぞれの班にわかれて生徒どうし討論するらしい。

ある日の、先生の掲げたテーマは
「日本人はクジラを殺して食べますが、
クジラは頭が良く、感情も豊かな
高等動物です。
このクジラを食べるというのは
おかしい、というのが今日のテーマです。」

となったらしいんだけど、
実際にはクジラなんて久しく食べたことないよねー。
子供のころでも毎日食べてたわけでもないし。
ところが討論以前にテーマについて
講師と生徒のあいだではくい違いがあったんだそうだ。
それはもう知識だとか思考、あるいは嗜好の相違というより、
感覚の違いというべきものであって、
それはなにかというと、

「確かにクジラは頭が良くて、感情も豊かかもしれん。
しかしだネ、いったい、いつ、誰がクジラを高等動物だと決めたん
だ。
牧場の牛はモーモー鳴いてヨダレを垂らして
長閑に草と食っているけれど、コイツは下等動物なのか
下等動物は食ってよくて、高等動物は食ったらアカンと
誰が決めたんや。」

ということになったらしくて。
そんな似たような議論があちこちのテーブルであって
どこも似たような結論がでてきたらしい。
クジラを語れば、洋の東西がわかりそうなんだけど、
どうも俺たちの心の中では
白人--有色人--クジラ--牛 という高等下等のピラミッドは
ないらしい。
それよりも、
クジラと牛とどれだけ違うんだ。
鯨と牛と人と、どこかでみんな友達という感覚があって
鯨を獲ってクジラに世話になったから
鯨の供養塔を建てたり、牛を千頭出荷したら一つ供養の塚をつくっ
たり、
俺も中ノ島の老舗の鰻屋さんで鰻供養でおじゃまして
お経をあげさしてもらったことがある。
そのあと主人と調理場の人たちで川にウナギを逃がすのだ、という
ことだった。

そんなわけで鯨も牛も鰻もみんなそれぞれの一生を送っていて
最初から下等も高等もないし、
下等なものは高等なものに食べられるために生まれてきたわけでも
ない。

誰に教えられたわけでもなく、
ましてや勉強したわけでもないのに
心の中に感覚として初めからそなわっている。

クジラもウシもウナギも友達、
生物という点からみたら
人間もその辺にいる細菌も同じ生物なんか。
とおもえたら、なんだかラクに生きていけないだろうかねえ。



せ。