禅寺小僧

日々の記です。

分けまえ

hekigyokuan2005-01-28

 お寺では御飯を食べる時だけ
飯台という机をおろして、そこにみんな並ぶ。
そして給仕役の人に自分のおわんを渡して
御飯をいれてもらうんだけど、
御飯を食べるその前に、たったの五粒ぐらい
だけど指で御碗からとりだして自分の机の縁に置くんだ。
モッタイナイこと!ではなくて人間以外のそれこそ鳥やなんかにも
あげます。毎日朝と昼に、夕方はやらないけど。
御飯粒を前に手を合わせてお経を読むんだが、
そのあとは御飯粒を集めて鳥にやっていた。
徹底的に物を無駄にしない生活の中では異質なことであるのだけど
自分で畑を耕して野菜をつくったとしても
自分が作った、自分の物、という感覚がちょっと稀薄なのかもな。

 鳥のほうでも、これは人間の野菜、なんてことを考えていない
かも知れないし。そこにあるから、食べる。ぐらいのことやろか。
野生動物にも縄張りを持つ種類もあるから、同種類のなかでは、
これは自分のもの、と思っとるかもしれんけどね。

 人間は「所有」するのが大好きで、自分が何々「した」
といのも大好きで、そんなことで自分の「値打」をはかったりするけれど、
鳥はそんなことしとらんやろなあ。
野菜だって人間は「作ってる」と思いこんどるけど、
チンゲンサイのほうでは勝手に自分で「育ってる」ぐらいのもんだろ。
種を播いてもらってありがとう。だけが人間のしたことなんとちゃうやろか。
そして今度は人間も野菜を食わせてもらうんだけど。

 人生の基準に「はかなさ」も入ってくると、鳥にもどうぞ、
となるのかもな。けど、全部やられたらガッカリするし、
実家の父親も絶対に取られるのイヤなタイプで
畑の前後左右、上空もゴルフ場からもらってきたネットですっぽり
覆ってる。その執念には感心するけれど野生動物とチエくらべして
遊んでもろたはるような気もする。


せ。