禅寺小僧

日々の記です。

無秩序と無機質

hekigyokuan2005-01-17

 京都のプライドに沢山のコメント
ありがとうございました。京都市北区
ホームページも見させていただきましたが、
計画の中に船岡山がいまや貴重な市民の照葉樹林
となっていること、京都の造営に関わる基点であること
が明記されておりました。
この丘が落ち葉が散ってくる、虫が湧いてくる、
と、人間にとって迷惑な存在である、と思っている人だけで
ないことがわかってホッとしました。
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 コメントが多くて嬉しくもあり、驚きでもあったのですが、
環境問題にしても、京都の景観のことにしてもこれからの
われわれの世代から感心が向いていくのでしょう。
船岡山の一件でも、国史跡に指定され、京都市北区にとって
貴重な空間であることが認識されていながら、
公園の境界から一ミリでも出たらそこがたとえ山の中腹であっても
実質8階建の建物を建てることができる。
その建物が、京都の基点であり、
神の降臨する山頂の岩倉を汚したとしても
かまわない。建築基準法等をクリアしていれば
これは違法建築ではなくて、適法なんだ。
「何も悪いことしてません。私は建てますよ。」 
と言われればそれまでです。
マンションからの景色はいいものになるでしょう。
けれど、公園を訪れる人々が楽しみにしていた、
京都を一望できる風景は失われてしまうのです。
市民の立場でこのことは果たして「適正」だったのでしょうか?
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 出町柳下鴨神社のあたりから東へ農学部の北側を
北白川へいく道で御影通りという道があるんだけれど、
そこの両脇にはエンジュという樹が
街路樹として植えられている。
エンジュの樹が道を覆いかぶさるようになって、
木漏れ日のアーチのしたを車がはしる。人が歩く。
夏、枝の先に小さな、白い花が一杯に群がって咲く。
地面に落ちるとサラサラさらさら、風に吹かれて
自動車が行き来するたびに路の上を転がっていく。。
いや、いった。
今ではその街路樹は電柱みたいに斬られているので、
枝はアーチを作らないし、花も風に泳がない、落ち葉も落ちない。
その道に暮らす友人は
「葉っぱが落ちると市役所に文句をいう人がいるのよ。」
という。
それでズタズタに斬られてしまうんだ。と。
街路樹の風景を楽しみにしていた人がいたとしても
行政のはどうしても苦情への対応になってしまうのだろう。
なんの為に街路樹を植えたの?と俺なんか思ってしまうけど、
花や落ち葉を掃く手間が耐えられない。
だいたいそれが汚いものに思えるんじゃないだろうか。
花や落ち葉が落ちるのは当たり前のことなのにね。
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 京都の風景を撮りつづけている水野克比古さんという
写真家が近所にいらっしゃって、町屋をギャラリーにして
おられる方なんだけど
「昭和30年代に世界文化遺産の制度があって、街が登録されていたら、
素晴らしかったでしょうねえ。」とおっしゃる。
俺はもともと馬町という陶器の職人さんが沢山いる街に生まれたけど
子供の頃の京都は長閑であったかい。
市電が走っていたし、長屋で陶器を作っていたし、
河原で扇子の骨を乾していたし、鴨川で友禅流しをするのが
橋の上から見えた。友禅で染めた一反の長い布を水の中で晒すんだ。
子供の眼にも大人が何をを作って生活しているのがが、視えたな。
がらがらがらッツって音した格子戸が懐かしい。
豆腐屋さんのラッパの音がして、表へ出ると近所の人が
何人かでていたっけ。鍋の中につるンとしたお豆腐を入れて
もらうとうれして、走って帰ったけど、家の前の凸凹みちで
けつまづいて、コケてしまった、。
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 昔は、何もしないでも、うらぶれた長屋にさえ
味があって、風情があった。
ほとんどが木造瓦葺だったし、車も駐車場も少なかったし。
自然と古都の残り香を漂わせていただろう。
あの頃に地方から来た人は、京都に来た、
という実感があったんじゃないだろうか。
けれど、今は色々なものが沢山あって
いい面も悪い面もあるけれど、ごちゃごちゃした
街になってしまったし、見た目には、一地方都市になりつつ
あるような気がする。どこかのコピーに
「日本に京都があってよかった。」というのがあったけど
この街がこの先も魅力のある街でありつづけて欲しいとおもう。
そして人を引き寄せつづける町であって欲しい。
もちろん新しいものも入ってくる。
でもたとえそれがビルであったとしも、やっぱり、
カッコいいものであって欲しい。
街全体を見渡して「さすが京都だな。」といわれたい。
むかし外国の友人を案内した船岡山からの、あの、
近景と中景と遠景は失われてしまうだろうけれど、
いつかきっと「わざわざあんな所に高層建築を建てないでも」
と思われる日が来ることを祈る。
山の頂きに信仰の戻る日も。
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 法律で決まってるんだから無駄なものに熱心だなといわれたし、
成果は無かったかもしれないけれど、いい経験になった。
孤立した中で読売新聞がヘリを飛ばしてくれて夕刊の記事にして
もらえたのがせめてもの、船岡山平安京への供養になった。
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 ここにいたるまで、あちらこちらで、
浅学非才の青二才を応援してくださり、
また、忙しいのにもかかわらず、色々と骨を折ってもらって
涙が出る思いだった。
               .
 どうもありがとう。

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せ。



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