禅寺小僧

日々の記です。

ザ禅の基本










禅とは梵語ディアーナの音を写した言葉で、静かに慮ることなのだ、とその昔、天龍寺で修行しているときに教えてもらった。剣豪の剣と禅が剣禅一如となるように、茶道において茶と禅が一つであるように、できないものかね?滑禅一如に。


スキー場は冬になったらこもっていた職場で、若いころは冬を過ごすところだった。雪が解けて春になるまで。そんなこともあって、冬は雪の積もった山が恋しい。行者としては深く雪山へ分け入って行くのが理想だけど、技術、体力、経験、度胸、時間のすべてがいまいち足りないし、檀家さんからも、やめとき。スキー場で遊んでるくらいにしとき、って言われる。しかし、それすら、俊かつ敏だった体力はひたすら下降線をたどり、そんな時代もあったねと横目で見るだけになってしまった。


そんなわけでスキー板の上に乗って、心の修行にいそしむことにするのだ。
坐禅の基本は、背骨をまっすぐに立てる。いらない力を抜いて身体をリラックスする。ゆっくりと深い呼吸をする。心は丹田に置く。というのをやってみよう。スキー板の上にまっすぐ乗る。あんまし腰を落としたりしない。いらん力は抜いてしまう。そのほうがスキー板をしっかり踏めるしね。ゆっくりと深い呼吸をする。どんなに急に坂がきつくなっても、スピードが出てもあせってはいかんのだ。心は丹田におく。自由な身体と心で次々おこるどんな状況の変化にも対応してゆく。あせってスキー板をまわしてゆくこともない、そんな滑り方。


重心の軸が、竹の棒になって、自分の前に立っていると思ってください。それに向かって滑ってゆくのですよ。そんなアドバイス聞く人いるのかね?まあ普通の道、歩いてるときにやってごらん。たぶんお尻のあたりの緊張がとれて、腰が少し前に出るから。少しでもエネルギーを消費する歩きが流行ってるから、そんなゆったり歩きしている人もおらんだけど、ちょっと高みから見下ろすのもよろしいよ。














夕陽につつまれたゲレンデってやっぱりいいな。
友達の背を追って、ふたりで滑っていたけれど、今でもたまには雪の上に立つことはあるんだろうかね。あのころはスノボの人はほとんどいなくて、スキーで遊ぶのが空前絶後の全盛だった。







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