禅寺小僧

日々の記です。

名神東名を









車を走らせて高速を降りる。五合目まで行けるからそっからちょいと登りはじめ、七合目の山小屋で一泊させてもらう。深夜に山小屋を出発して、頂上でご来光を拝むというのが一般的みたいだけど、夜は寒いし、暗いし、眠たいんで、、山小屋の朝ご飯を食べさせてもらって、小屋の前でご来光を眺め、朝の赤い光に照らされた瓦礫の山を、ゆるゆる登りはじめ。














午前中、頂上につくと、そこいらには頂上にたどり着いてくだばってる人もいて、ごろごろ転がっておられる。気温は低くても、日差しは強いから仰向けになって顔にタオルをかぶしたりしてる。神社の御朱印、お守り、おみくじなんかが人気ある。郵便局もあって手紙もだせるし、店もたくさん出ていて、ジュース、ビール、ラーメンなんでもある、祭りのような賑やかな通りになっておった。





















山伏姿の一団がおられた。
「その格好で来たんですか!」
「そうだよ」
「へぇ〜、スゴいじゃないですか!」
「海抜0メートルからだよ」
「いいなあ、まさか」
田子の浦で禊ぎをしてそれから御殿場からきたんだ」
「スバラシすぎる!」



















海から山頂まで二泊三日の行程らしい、これから降りられるとのことで、やっぱり田子の浦まで降りるんですか?と尋ねると、いやいやそらはちがうとのことだった。しかし足下は白い地下足袋で、健脚でないとなかなか難しいだろうと思う。昔、夏、橋本から高野山をこえて龍神まで地下足袋で歩いたことがあったけど、何も怪我をしていないのにどうにも足の裏が痛くて、傷もないのにズンズン痛むような感じでどうにも困った。太平洋まで歩いていこうとはじめた旅だったけど、そのころは人もまばらだった龍神温泉でお湯に入ったら、急に気力が萎えてしまい、田辺までバスに乗って駅に行った覚えがある。地下足袋で三日歩くのは、やってみるとなかなかできひんことだよな。



















お経は何を読むんですか?と尋ねたら、明治の廃仏毀釈で打ち壊されたそこの石仏の供養に来たんです、とのことだった。眼の前にあるお不動さんの顔は叩き壊されていた。お地蔵さんも頭はなかった。明治の文化大革命の時代に壊されて噴火口にでも放り込まれたんだろうか。18世紀から19世紀にかけて集団登山が盛んにおこなれたと案内板に書いてあったが、その先達を山伏さんが勤めたにちがいなく、みんなで海から登りはじめてお参りしつつ、六根清浄〜。一心頂来、万徳円満〜。などと唱えながらの
祈りの道行きは困難も多かったろうけれど、今のレジャー登山とちがった感動もあったろう。この一木一草も生えぬこの荒野は御神体なのだった。道すがら、スポーツドリンクのペットボトルをや紙屑を捨てる人もいなかったろう。そもそもそんなもんなかったんだろうけどな。文化遺産になったのだけど。
「最近、海から山頂までいく、村山古道というのが復活したんですよ、帰ったら検索してみて!」晴朗な山伏さんらは軽やかに山を降りてゆかれる。












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