禅寺小僧

日々の記です。

精華町まで








風はまだすこし冷たいけれど、一日、京阪奈学研都市にまで往復した。
片道京都から40キロちょっと、とある施設で行われる簡単な実験に参加
するのだ。ちょうど空いている日に依頼があって、喜んで参加したのだけ
れど、実験に興味があるというよりは、久しぶりにちょっとバイクで遠出
したいから、というのが本当の理由だ。京都の街を飛び出て、南山城に足
をいれると、景色が広がりかたが京都市内とはちがっていて、健康にいい
。街の中にいるだけでは。











実験は何種類かあったけれど、最後のは文章を5つ音読して、その後、そ
の中にあった単語でアンダーラインのひいてあったの順番に5つ答えてゆ
く。この問題で最後です。と言われた問題はなんか疲れがでたのか緊張
が途切れたのか、5つのうち3つも忘れてしまった。すんません、という
とそれでもすごくいい成績ですよ、となぐさめられた。











帰り、玄関で先生といろいろ話していると、人間の脳のワーキングメモリ
は3つぐらいしか同時に処理できないんですよ、といわれた。人間の脳に
はものすごい容量があって、ほとんど使いきれないくらいだと思っていた
がそうでもないらしい。昔の知識では脳味噌のことがよくわからなくて、
使っていることがわかった部分が、ホンの少しだったのかもしれない。
とにかく先生によると、人間が同時に処理できるのは3つくらいだから、
携帯でしゃべりながら目の前にいる人とも話したりしてると、これで2つ
使っている。聖徳太子はワーキンングメモリが巨大であったのだろうけど
一般人はあれこれ仕事をかかえ込んでしまうと、手一杯になって逃げ出し
てしまいたくなるんだな、と変に納得する。











玄関を出てバイクに跨がり、夕方の黄色い光の中をゆく。
隣の国立国会図書館西館によろうかと思うけれど、今回はやめとくことに
する。関西にあるのになんで、国会というのか気になるのだけど。その隣
の私の仕事館は入り口に鎖がかかっていた。まだ新しいけれど、閉鎖され
たみたいで、国会図書館もそうなるかもしれない。











実はこのすぐ近くに行ったみたい村がある。馬町にいた陶芸家の河井寛次
郎がエッセイに書いている。「南山城の山田川村の大仙堂の部落から、大
里、北の浜、吐師へかけて次々に見付かる素晴らしい村の姿に惹きつけら
れて歩いていた」このあたりを歩いて道すがらの村の姿を見ておられたの
だが、この芸術家は道端の風景にいつも異様に感動している。「一歩村へ
這入ればもうただ事ではなかった。次々に現れる色々なものでいつの間に
か身体中が眼だけにされてしまうのであった。生籬、土塀、長屋門、庫、
茶小屋、母屋、一間に足りぬ路の両側に並んでありだけの美しさを出して
いる」となんでもない道端の風景に感動しまくっておられるのだけど、さ
らにある村に行くと、「長い年月自分は村を見て歩いたが、今日この処に
見た村のように自分を有頂天にした村はそう沢山にはない。自分はどこか
にあるに相違ないと願っていた処へ来た。道という道を縦に横に行ったり
来たり、後ずさりしたり立ち止まったり、腰をかけたりきりきり廻ったり、
化物のような喜びに自分の身体はひきずり廻されていた」村の中を
歩き廻りあるところに行き着く。「この美しい部落がこんな美しい池に沿
うていたという思いがけないことを最後に知らされたのであった」とまあ
たいへんな感動のしようなのであった。河井先生はこのあと何度もこの村
に訪れる。村の人に何をしに来たかと問われると、適当な返事ができない
。美しいために来た、というところが本当なのだけど、そんなことを言っ
てみたところで村の人にはチンプンカンプンなのだから。











そんな文章があったのを覚えていた。そんなに素晴らしい村を一度訪れて
みたかった。京阪奈学研都市に向かう、新しくできた片側二車線の幹線道
路を走っているとき、村の名前が書かれてあり道路狭小につき立ち入り禁
止、とあった。アッ、ここのことだったんだと、気がついた。だから図書
館に行かずにこの村にやってきた。はたしてその美しい村は、道の狭い、
軽自動車に向いている、まあ日本中どこにでもあるような農村だった。た
だ門付きの家が多いかな、という気はした。学研都市や工場誘致で仕事が
あるのか新しく建て替えられた家もある。ただ新しい今風の家は道が細い
からもったいない感じがした。今の家は前の道があんまり細いと映えない。
池もあった。湖水の広い、用水池だ。河井寛次郎がはじめて訪れたのは、
春さきの明るい日ざしの下に三四寸に伸びた麦畠の中にーーと書いておら
れるから丁度今頃の季節のはずで、時間も夕方だし、おなじように京都か
ら来たのだけど何が違うのだろう。昭和19年と平成24年の68年のち
がいなのか、芸術家の眼とわからない人の眼なのか、歩いて廻ったのとバ
イクで乗り付けたのがちがっったのか。でも偶然の機会にめぐまれてよか
った。池のほとりに豆腐屋さんがあった。店の中を覗くと、今は母屋にい
ます。声をかけてください。とあった。










もうすこし暖かくなったら、南山城をゆっくりあるいてみたい。まえから
してみたいことなんだな。










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