禅寺小僧

日々の記です。

山をおりる。









大荷物と天候と不慣れのせいで、なかなか思うように進めなくて、
予定していたコースを途中ではなれることにする。
4つの山を巡るはずだったのが、最後の一つをあきらめることに決める。
ここからも難所が予想されるし、コース上での計算でも6時間以上かかる
のに、いままでの行程では計算より時間がかかっている。
この先、山に入ると途中でエスケープできるルートはないし。午前11時30分
だったけれど、5時過ぎになれば暗くなって行動できないだろうし、知らない
土地で無理は禁物と思い、下山することにした。
もう少し旅行したい気分も大いにあったけれど、こんなときに欲張りは禁物やしな。
結果的には夕方にも物凄い土砂降りがあって、まあ、これもよかったんだった。












尾根筋から県道にむかう道を降りてゆく途中、やっぱりなかなかの難路になっていて、
最後の休憩をする。
雨上がりの靄のかかった山中で腰をおろすと、降りるのに必死でそれまで地形や樹の
生え方くらいしか見えなかったのが、山の空気につつまれて、いろんな音が耳に入って
くる。鳥のさえずりや風の音、斜面に垂直に立っている樹の幹。そんな中に坐りこんで
あたりを眺めていると、おだやかな気持ちになってきて、
「観測者はいなくても世界は存在するんだな。
人間が街にいて、この山にいなくても、この空間はここにあるもんな。
誰が見ていなくても、ここはここになりたっている。」
などと、めずらしくも哲学的な考えがうかんできて、そんな思いで景色を眺めていた。
誰がこの世界を作ったんでもなく、世界は世界で最初からあったんだ。という思いが
ふだんからなんとなくはある。
哲学的に正しいのかどうかは知らんけど。












トンネル横の県道に出たら、そこはもう文明国でクルマが走っていった。
アスファルトの道はどんどん歩けて便利で、自転車やったら面白いやろね。
昔の花が沢山咲いている、ちいさな村を通り過ぎる。
犬がいて、吠えられた。













駅につくと2時間ちかくも汽車がこなかった。
駅前が広くなっていて、屋根のついたベンチがあったんで、雨具を乾かして、
米を洗って、コッフェルに入れて、アルコールのコンロで炊いて、お茶も沸かした。
駅の横には名水100選に選ばれた名水があって、沢山の人がひっきりなしに車で来て
水をくんで帰ってゆく。
一合半炊いたご飯を塩もかけずに食べていると、おっさんがやってきて、話かけてくる。
ここらは水がきれいだから魚もうまいし、獲ったらよかったのにな。おかずになったのに。
どっから来たのや。山越えて来た、昨日は山の中で寝た。イノシシ怖いぞ。怖いし焚き火
して寝てる。ええ旅行してるなあ、若いしいいなあ。体力あったらええなあ。彼女おらんの?
とか聞いてきた。おっさんは近所の人で水を汲みにきたんではなさそうで、包丁を腰に
さげていた。山にもよく行くらしい。












100円で30リットルの名水が買える駐車場には10台ちかくの車があって、
ポリタンクを持った人たちでにぎわっていた。
ワンマンカー?のディーゼル汽車がやってきて、降りたひとは誰もいなくて、
乗ったのは一人だけだった。