禅寺小僧

日々の記です。

死ぬが嫌さに、笑ふて候


災難に遭う時節は、病の時節には、死ぬ時節には
などというと、すぐカン違いされてしまう。
諦念、アキラメ、無気力なのだ、と。
でも良寛さんの手紙のコトバは
やはり自分の心の境涯として言われたのであろうし、
そのあたりが、災難名、病、死などにふりまわされない、
自由、自らに由って自ら在る、ではないのか。


心の煩悶を和尚に打ち明けたところ、
「お前さんの言っておることは、昨日のことではないのか?」
と言われ、感ずるところがあった、といった人がいたが、
仏教の修行というのは、今あることを、ここにあることを、
己にあることを行じてゆくことで、大切なのは与えられている
今を最大限に有意義に生きてゆくということなのだ。
そこが行なんだわ。


Parts氏と話していると、
「もてはやされてはいるけれど、やっぱり、フリーターって自由やないぞ。」
「雇用や解雇を自由にできるのは経営者のほうやないの?」
「社会的評価は時給でされていると思うが、時給を決めているのが
自分ではなく、会社のほうやからねえ。」
「結局、自分の時給を自分で決めれるようになって始めて自由といえるんで
ないの?」
とかいう話になる。
社会に自分の値打ちを決めてもらうのではなく、
自分の値打ちを自分で量れるれるようでありたい。


実際のところ、災難は次から次へと降りかかってくるけれど、
そのことで還って、普段は見えなかった本当に大切な人であったり、
かけがえのない自分の健康であったりに気づくこともあるし、
逆にしっかりしてそうに見えていたものが、案外脆いものであったり
がわかったりする。それには、
「災難だー、災難だー。」とわめいているだけではだめなので、
やはり、行じてゆかねばならぬものであるだろうし、そこに、
災い転じて福となす。ということもある。


仏間にかかっている、ご先祖さんの、昔の日本人の顔がなんとなく
魅力的に見えるのは何故だろう。今より苦労は多く報われることは
少なかったであろう時代の顔のほうが、引き締まって、味の染み込んだ、
いい顔が多かったのではなかろうか。艱難であったり、辛苦であったりが
男の顔を作ってゆくのであって、のんべんだらりとした毎日からは、
たぶん、のっぺらぼーナ顔しか出てこないのではあるまいか。
だから男になりたかったら、
「ドンと来い、災難、受けてたってやるゼ。」
ぐらいの気概でなくてはならない。
良寛さんの心の境涯はそうであったにちがいない。
それほど大きな心の人であったからこそ、
子供と一緒になって手毬歌を歌ったりもできたのではないか?




人のために涙を流してください。
自分のために汗を流してください。
涙と汗は心の眼を洗います。