禅寺小僧

日々の記です。

サクラの種

hekigyokuan2006-04-19

 桜の種を播く人はあまりないと思うけれど、こんど種を集めて播いてみようと思っている。育てている人に聞いてみたら、まず種から芽があまり出ないし、出てても残るのはさらに少ないらしい。でも数を播けばなんとかなるだろうし、挿し木で殖えたのよりも、種から育ったヤツのほうが強いように思う。染井吉野は樹齢が短くて、もちろん例外の樹も大いに違いないのだけど、一説には60年なんだ、とPART2さんに教えられる。染井吉野には種が出来ないのじゃないか?ということだったけれど、本当にそうなんだろうか、でも桜の下に小さい樹が育ってる、ってのもあまり見ないわな。ま、枝垂れの種なんかも集めていろいろ播いてみることにしましょう。実は14年前に種を播いたことがあって、虫が入って枯れるかな、と思ったこともあったけど、なんとか育って今は4メートルぐらいの高さになって、毎年花をつける。そのあとさらに、サクランボが成る、という樹になった。土などあまりない、狭いところなんだけど、元気に生きている。そんなこともあるから、なんとなくいけるんじゃないか、と思ってるわけよ。
 
 カブ、自転車、新しいバイク、すべて快調です。近所もちょっと遠いところも、いろいろまわってみます。サイバーショットのFシリーズは手軽でいいやつです。写真からずっと遠ざかっていたのを引き戻してくれます。PCもそうです。今までは桜撮ったことは無かったけれど、今年はじめて、セコセコ、キョキョト、あちこち回って撮ってみるうち、写りすぎる、って思うようになった。桜の撮影が難しいのをデジカメのせいにしてはいけないし、写り過ぎるなどと不真面目なことを言う事もないのだけど、サクラの気分ってのをあたためると、どうもそんな感じがしてくる。北山にあるギャラリーイシスで女流写真家のパリの写真をみたことがあるんだけど、それはモノクロの、ピンホールカメラで見たパリのイメージだった。ピンホールカメラっていうのは針穴写真のことで、その人は紅茶の空き缶にフィルムを仕込んで、反対側に針穴を空けたので撮影しているらしかった。デジカメの画像が現実そのもの、もしくは現実以上に写りすぎるとすると、ピンホールはおぼろに現実離れして写る、といったふうなんだ。冷徹に写りすぎると、逆に気分は逃げていくように、思う。シャッターも一瞬ではなくて、何秒という時間、だから手持ちはとても無理で三脚を立てて、露光ということになるのだけど、それがかえって、今の時代に新鮮なんじゃないか、とも。
  
 ピンホールカメラに改造したいのですけど、だれか使ってない一眼レフのデジカメのボディをお持ちでないですかね?


 追伸、きのうの最後の写真の方向はヨコのままです。