禅寺小僧

日々の記です。

白い椿

hekigyokuan2006-02-16

 この国では、人知れず生まれてきて、人知れず死んでゆくような現実がいくらでもあるよ。何日も風呂に入れないし、衛生観念などないようなところだけど、ヒンズーの祠がいっぱいあって赤いティカでうずもれているよ。なんて言っていた。どうしても、休みがとれなかって、結局行けずじまいだった、けれど。人に近いひとだったな。あふれる愛は日本では理解されなかったけれど、向こうではどうなったのだろうかね。たぶん、元気だろう。禅の道場では五年半すごしたから、ちょうど、学生生活と同じくらいの時間をすごしたことになる。どちらが長かったか、有意義だったか、にわかに判断もつかないし、言葉にもできない。ただ、禅道場の生活は単調である、という見方をすれば、これ以上単調な生活はないだろうと思った。 昨日と一分と違わないスケジュールで動いていたから。そこは中国から伝わる生活が千年以上も続いてきて、無駄がとことん省かれて、かつ、研究が持続的に続けられる環境であることは間違いない。起床、食事、休憩、労働、睡眠、生活についてまわることをテキパキと処理できなくては時間など生まれない。集団での規律ある毎日で、しかも教授たる老師と一緒に住んでいるのだから、これ以上の環境はない。指の先から、足のさきまで、どっぷりと浸かりきっていたから。もちろん通学の時間なんてものもない。大学とはそんなところが違っていたな。大学で勉強したといえば、何冊か小難しい本を読んでた、ぐらいの印象しか残ってないのだけど、あの寒い下宿で、持ち物といって、布団、着替え、机、みかん箱に入れた本、ちいさな食器と食べ物をいれておく棚、電気ポット、炊飯器ぐらいで、「坊さんみたいな生活。」と友人に評されていたけれど、隠遁生活を志向しつつ、ブラブラ時間と自分自身をもてあそぶ学生であったのだが、それでいて心のどこか、では、なんとなく規律ある生活、できれば集団でする、にあこがれているようだった。それは若さに特有の、今ある自分に満足できない、壊したくなる衝動、であったように思う。学生時代に、書を読んでも、旅にさすらっても、自分の思うような(もっともはっきりコレ、という到達目標があったわけではなかったかもしれないけれど)満足できるように、なった。とという実感は持てなかった。その頃は、もう、仕事を始めていて、世間と交わり、景気もまだなんとなく良かったこともあって社会に認められてきた、と思えるような錯覚のような実感もあったから、そのままでも良かったのだけど、なんとなく縁があって、髪を剃ってしまった。