禅寺小僧

日々の記です。

この定食屋って。。

ねえねえ♪ 『この定食屋って、銀閣寺大銀?』

# hekigyokuan 『おしい、北白川の「大銀」です。
いったい何十年、この店に通っていることか。。
近くにあった、ごはんとみそ汁と書いた、笑顔で定食を出してくれるおばさんと無口な板前さんがいたカウンターしかない、夕方にだけ営業していた「高砂」。ダシがきいていい味噌の香りのするいつもの学食のお愛想でネギをいれたのとは大違いのみそ汁と、本当においしく炊いたらこうなる、という見本のような御飯。そして今だったら秋刀魚だな、別に炭で焼いているわけでもなんでもなく、ガスのグリルで焼くんだけど塩が振ってある皮はパリッとしていて、中身はあくまでほんわか旨味がしたたる、、、上品に盛られた大根おろしと半切りにした新鮮で酸っぱい緑色のスダチ、、紙にマジックで縦書きにかいた「さんま定食 ごはん みそ汁 六五〇円」の短冊がカウンターの上にあったのを思い出すよ。学校で勉強した難しい理論はきれいさっぱり忘れてしまって全く想い出すことも解くこともできなくなってしまったけど、狭い店内で眼を凝らしていたことはいまだに身体のどっかに肉となってしみついて生きている、と信じたい。一人で食べに行って、みそ汁の奥深さを噛みしめ、接客も含めて料理というのはこうでないといけない、とまで思うまでになった。京都のどんな高級料亭の凝った料理より皿の中でそれぞれが生きていて、素材を活かす、というのはこういうことか。と勉強させていただいた。L字型のカウンターの後ろには壁に沿って椅子が並べてあって、注文してから頼んだのが出来上がるまで、そこで待たされるのだけどその間もどれだけ腹が減ったことか。料理ができてお盆をもった叔母チャンにどうぞと席に招かれたとき、箸を割って最初の一箸を口に入れた瞬間あそこにいた誰もが幸せを噛み締めていた。しかも北白川温泉という風呂屋の隣でもあったし、場所もよかった。

 おのぎ食堂というところも近くの細い道を入っていったところにあって、家族でやっておられる定食屋さんだった。作っているところはあまり見えなかったけれど、たぶん娘さんと思われる若い女性に御飯をだしてもらえるのもいいことだった。当時の夢といえば、、、、将来、仕事が早く終わった日にはここへ来て、テレビのよく見える席を取って日替わり定食にイワシフライを追加して頼んだのを、夕方まだチョット明るい時に相撲を観戦しながら食べてみたい、ということだった。学生の分際では食事にビールを頼む勇気もお金もなかったけれど、就職してから上司に「どんなとこで飲むのが好きか。」と聞かれて「居酒屋より定食屋で飲むほうが好きです。」と答えたことがあったな。ここには定食の回数券があったな。けれど今は、おのぎ食堂も店を閉めてしまった。残念。

 大銀だけはいまだに健在で、店は満員で、おいしくて、ボリュームもたっぷりだ。もやし炒め定食なんか食ったらきっと涙がでてくるぜ。ウチの学生に聞いたら学食か、チェーン店の牛丼屋のようなところでしかメシを食ってないというので、「せっかく京都にまできて勉強してるんだから、たまにはもっと旨いもんを食わんとアカンのじゃ。」といって連れてきた。もっとも自分が食べたいいうのが動機の半分以上なんだけどな。学生諸君、丼飯に牛肉をかけただけの食事だけでは淋しくないのかね?

 高砂ではこれから寒くなってネギがアンが入っておいしくなってくると豚肉の葱巻きてんぷらというのもおいしかった。葱を何本か束ねて豚肉でくるんだのを天麩羅にするというやつで、揚がったら良く切れる包丁でザクザク切って出してくれる。葱と豚肉がこんなに相性だとは知らなかった。真中の緑色も効いている。女友達といったときは何故かいつも奢ってもらっていた高砂も卒業してからバタバタしているうちにいつしか店を閉めていた。何年か前、府立大学の農場の横を車で走っていると偶然、「ごはんとみそ汁 高砂」と書いた看板を見つけた。探し物にやっと出会ったような気持がした。昼間だったけれど車を停めて入店してみると、やっている人も全然別で、空揚げ定食がおいてあるような店だった。何を食べたかも忘れたけれどお金を払って出てくると、何故か車のドアに十円玉で誰かに傷を付けられていた。あの高砂とは全く別物だった。今は記憶の中にしかない店だけど、まちがいなく京料理の最高峰であったし、心にしみわたる名店だった。


せ。』