禅寺小僧

日々の記です。

hekigyokuan2005-10-24

 はじめて告白しますけど、じつは好きなものがあって
それは石ころなんだわ。小学生のころの化石採集から中高生
になると鉱物さへと興味は移ったけれど宇治川ライン沿いに
自転車飛ばしてハンマーもってかなり遠くまででかけたもん
だった。遠足は弁当を食べたりしてだんだん背中の荷物が軽く
なっていくんだけど、石の場合は進めば進むほど、採集すれば
するほど背中の荷物が重くなっていくという過酷なものだったな。けれど水晶なんかでも結晶面がキラッと光るのを発見し、自分の手にとりあげた時の感動というのは、大げさにいうと地球的であったな。何千万年も前のの地球が生み出した美に廻りあって太陽に透かしたり、反射させたりして玩んだもんだ。そんな日は帰りのペダルも充実してウキウキ軽かった。山の中で一人岩石の露頭をタガネ一本ハンマー一本で挑むのだが、だいたいにおいて鉱物を含む岩石というのは硬い。力余って狙いがはずれ、ハンマーがタガネを通り越して支えている左手を強打する、ということも一度や二度でなかった。そんな莫大な苦労をして集めた地球の雫であったけれど、いいものは殆んど手元には残ってなくて、昔の彼女と話をしていてくれてやった。今も彼女の手元にある、のだろう。と思いたい、けど。ほんとはもっと違う石が欲しかったのかもしれんな。ま、そんなこと今となってはどうでもいいか。

 標石探鉱という鉱脈の探し方があって、例えば下流で砂金が見つかったとすると、その上流のどこかに鉱脈がある、とおもわれる。川を遡ってゆき川が二股にわかれたところで左右どちらも川の砂を掬ってみるとおそらく片方には砂金があって、もう片方には無い。砂金があるほうの川を遡って同じことを続けてゆくとその内上流にある鉱脈に辿りつくという、ものだ。もちろん昔からの採鉱方法なのだけど子供心に、ナゾが明かされるような気がしてワクワクしたもんだった。それで今でも石が好きでたまに河原なんかに行くことがあってもどんな石があるか眺めていたりしたというわけ。えらい和尚さんに「石庭を造っています。」といったら「お前みたいな境涯では、何をやってもアカン」といわれてしまったが、まあ、石自体の魅力でどうかな、と思っているんだけどね。