禅寺小僧

日々の記です。

役にもたたずに

hekigyokuan2005-09-26

 「けど、何のために生きてるか、わからん。」さびしいことを有能氏がおっしゃる。
あなたはメインストリートを歩いて、いや走っている人なんだから、そんなことは、、
と思い、自分自身のことはどうかっていうと、日々のなかになんやかや小さな楽しみが
あるわね。堤防で一升瓶を空けたり、ポケットの中のカメラで写真を撮ったり、
菜っ葉の種を播いてみることだったり、庭を掃くことだったり、友達と座禅するとか、
「あそこがええデ。」ときいてラーメン屋にいそいそ出かけたわいもない批評をしたり、
山奥の滝まで行って滝壷につかり命からがら帰ってくるとか、どれをとっても馬鹿馬鹿しい
エエ大人が、、といわれるような、でも自分が本心から好きな、ことをやってる。
今は月曜から土曜まで近所の小さな事務所に勤めているけれど、それは同じテーブルの
元学友達のしている仕事に比べれば、みすぼらしく見劣りするものにちがいない。
けど、たとえそうだとしても、生きている充実感はハタ目からは計かれんかもしれん。
経済的な価値観では財をいかに多く所有しているかが充実感だが、
実際には同じ財にたいしてどの人もが同じ値打ちを感じているわけではないだろうから。
   
 仕事だけではアカンのかなあ。とも、日本のひいては世界の為に役立つ人材になど
とうとう自分はなれなかったなあ、とも思いつつ京都駅からバスに乗って帰った。
おそらくは一生、このままだろうと。
世界を支えている彼らの奮闘を尊敬しつつ、。