禅寺小僧

日々の記です。

写ってませんでした。。

hekigyokuan2005-08-19



祖父の時代には太平洋戦争まっさかりであって、沖縄で勝てる見込みの戦いに参加して彼も戦死したが、仲間たちとやすくにで会おう、と言って最後の戦地に赴いたのかもしれない。戦闘に参加していないものが後からドウコウ批評するのは簡単だけど、自分の為にでなく自分の命を捨てざるをえなかった人々の心中を思えばやるせない。戦争を始めるのは上の人だけど実際に戦地で命を落とすのは圧倒的に下々のものであるのだからなおさらだな。







21世紀も毎日のように自爆テロが横行していて、そこには宗教が深く関わっていると言われても、外から見るもには全く理解もできないし、共感もできない。狂気という言葉でかたづけることぐらいしかできそうにない。旅行していて同じ土地で隣にいて、同じものを食べ、かりに同じ言葉を話して同じものに笑ったとしても、祈りの時間がきたとたん、あなたの心の中に全く異質で受け入れられにくい感情がおこるのではないだろうか。宗教というのはこの上なく固有な現象であり、関係のない隣の人には皆目わからない価値観なのじゃないだろうか。改宗なんてことは大変なことなんだろうと想像する。そして世界中の人間は何故か何かしらの宗教なり信仰を持っているのだから不思議なことだね。









いつもはこの現実世界で現世の欲にまみれて暮らしているが、たまに、お盆にはこうして手を合わせて向こう岸の世界とハナシする。人間と自分の心の深みを覗いて見えた。









大文字も撮ったんだが、、、ナ。




せ。