禅寺小僧

日々の記です。

ソムリエ

hekigyokuan2005-06-18

 あなただったらその人が、知性人であって、教養人であり、なおかつ文化人であるのか、否かをどうして判断しますか?あなたはどんな人ですか?とか、学校はどこですか?とか訊くんでなくて、(だいたい外国で日本の学校の名前を言ってもわからんだろうしねぇ)普通の会話の中でそれが如実にわかるもの、それは食べものの話、あるいは食事での話しなんだそうである。何をどのように食べているかその人の好みで、その人の内面まで分かる、というか判断されてしまうらしい。ビストロで御飯を食べているときにそんな話が出たもんだから、エスカルゴを食べている人の器を見て、「フランスのたこ焼きみたいですね。」と言ってみた。どのような文化、教養、知性だと判断していただいのでしょうか。「無さ」が見透かされているだろうけど。食べ物で精神が判断される国というのも面白いけれど、文化、教養、知性の行くつく先は、その象徴は何か、というとワインなんだそうだ。そして一国の文化、教養、知性の物言わぬ純粋結晶の代弁者がソムリエなんである。だからソムリエはワインの利き酒ができればいい、というようなものではない。その背後にあるものが求められる。その話を聞いて、それまでテレビで知ってるソムリエは、なんとも些細なワイン違いをなんちゅう大袈裟すぎる表現する大法螺吹きの類いか、とおもっていたけれど、実際は誇れる歴史や文化をワインの色や味をかりて威風堂々と語っているとのことだった。
            
 かつてフランス文化にあこがれて留学し、まず大学入ったものの次にソムリエ学校に行きワインとその周辺について学び、景気のいいときに高いワインも飲みまくったらしい人と街の食堂で御飯をたべたのだったが、その人がみんなでレストランに行ってワインを注文する段になるとテーブルのみんなはどんなワインを注文するのやろう、とワクワクする。サァ、どう来るのか!注文するほうはこれまでの人生のすべての経験を注入して、仲間の頼んだそれぞれ違う料理をかんがみ、おごそかに最大公約数たるワインの名と年号告げる。それを聞いたソムリエはわざとレストランの他の客にも聞こえる声でその名を繰り替えす。御主ヤルナ!となるわけ。
   
 無教養人にはさっぱりわからん種類の話だった。ただ散々高いワインを飲みまくったひとの話では別に高いワインを飲むことないし、フランスの人も安いの飲んでるよ、とのことだった。ご本人も最近別に高いワイン飲みたいとも思わんなあ、と庶民的なことをおっしゃていた。大切なのはその日の料理に合うか、自分にあっているか、ということでその土地のものを飲んでたらだいたいマチガイないそうだ。フランスではワイン一本までは酔っ払い運転にならないらしい、もちろん車で帰った。
   
    
    
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せ。