禅寺小僧

日々の記です。

ボンジュール・ムッシュ

hekigyokuan2005-06-09

 むやみに広大で美しい緑色の畑地に感心していたら、左右にグラグラッと揺すぶられて滑走路に接地する。そこから駐機場までエンエンと地上を走る。だだっ広い飛行場。タクシーに乗り込み旧市街へと向かうと、ギッシリと重厚で隙間無く石で積まれた首都に迷い込んだ。すべてが人間の理性と思考、知性、教養、文化の分泌物で、道は放射状に広がるように設計され、建物は高さをすべてきっちりそろえて造ってある。ときには巨大な生垣と言いたいような街路樹が聳えているけれど、どの一本として自然に生えたものはない。すべてが人間の思考と想像力で構築されていて、しかも計画は徹底的で、道も建物も200年前の町並みとまったく同じなのだと聞かされ、驚く。馬車が走っていたときとまったく同じ町並みが眼の前にあるのだ。日本だととっくに定年退職しているはずのものがこちらではバリバリ現役の最先端でやってらっしゃる。アッパレなことヨ。日本でいうと美術館か博物館に使われていそうな建物が町並みとして延々続いているような印象なのだけど、なんせ法律によって、外観に一切手を加えてはいけないことになっているらしい。色を変えてもいけないし、バルコニーの柵一つにしても変えることはできないらしい。後に、わかままで個性的、しかもちょっと無責任な国民性を目の当たりにするけれど、同じ人々がこの決まりを守っているのだからね。そして市民であることに大変な誇りを持っている。住んでいる街にも。
 建物の高さが15メートルだ20メートルだと京都の景観論争に関わってきたものとしては、、うなだれて、脱帽するしかない。
 根本から違うな、と感じたのは、こちらには土地の所有という概念がそもそも無い。あるのは居住権だけ。建物の外観も自分で変更することは出来ないから、建物の外観の所有権も無いことになる。セーヌ河から順に何番何番と、右は奇数、左は偶数というように分けて建物に番号が書いてある。これが番地になっていて、知らないところへ行くのにも何通りの何番地さえわかっていたら、誰でも正確にそこにたどり着ける。なかなかいいシステムだと思ったな。建物の番号は歯抜けすることもなく規則正しくならんでいる。もちろん、200年前のまま番号もかわらない。京都の上ル、下ル、西入ル、東入ルに似ているけれど、番地は土地の所有のために振ってある番号だから、番地を知っていてもその場所に辿り着けないのと大違いだ。町並みを完璧に保存しようとすれば、やはりここまでしなくては、という思いと、大好きな京都ではやはりここまでの市民意識もプライドも熱意もない。子供のころからあったかい、さわってみたくなるような、やさしい町並みが好きだった。ガラガラガラッと音のする格子戸をあけて、友達の家に遊びに行った。音と感触は耳と手に残っているのだけれど。。
 街は200年前と変わらんが、乗り物が馬車からクルマへ変わった。中庭に停めれる以外はすべて路上駐車ということになる。町並みが変えれんから駐車場も作れんのだ。車庫証明はなくてもクルマは買える。そのかわり路上でも縦列駐車の生存競争は激しくて、前後とも10センチと離れず駐車してあることなんかザラ。但しバンパーはあたってもかまわんみたい。