禅寺小僧

日々の記です。

台風やら時代祭り、鞍馬の火祭りなんかの影響で
京都は忙しい。そっちのネタが沢山あるから新聞も
なかなかこっち向いてくれないな。
しかし、明日からはちょっと芽があるんじゃないか、
と期待してる。
近所の方々もグループを作って、やる気になってこられたみたいだし、
少し盛り上がりつつあるようで楽しみだ。

昔、東山、西山、北山という京都を囲む山々に
建物が侵食していったとき、
東西北の三山を守る法律は出来たようだけど
ここはエアポケットだったみたい。
今後の趨勢として、この貴重な都市の緑地を取り囲むように
マンションが建ち並んで、山頂はビルのてっぺんから
井戸をのぞきこむようにしてみるようになるのかもしれない。
そのときいちばん残念に思い、悲しみ、不利益を受けるのは
公園に日々、公園に遊びにきている子供達や散歩をするひとなのだろう。
「昔は、京都じゅう一望できたんだよ。」といわなければ
いけなくなるかもしれない。
その時、風景は一部の金持ちのものだけになってしまうけど
「誰がこんなふうにしたんだ。」と言われた時に
せめて、「俺は反対したんだ。」と胸をはって言いたい。
高層マンションが建設されることを知っているのは
ごく近所のひとたちだけで、公園で遊ぶ人たちは知らない。
ましてや京都の街から船岡山の緑を見ている人たちは全く、知らない。
そして気がついたときには突然のように巨大なセメントの塊が
偉そうな顔をして建っているだろう。
この町を肉眼で一望できる地点を失ったとき、
京都の街の将来と、街の人間の息つく瞬間と
晴れ渡る高揚感、恋人の雀躍する時間が
うつろな者になってしまう。


せ。