禅寺小僧

日々の記です。

活性化

京都に住みたい人、が実際に京都に住むとして、
昔ながらの京町屋に住めるだろうか。
だいたい、町屋の構造からして商売なり
職人仕事と住居が一体化しているのだけど、
仕事をもって京都に出てくる人もあんまりないんじゃないの?
京都の昔の家で賑やかに家族や職人さんが働いていて
表どうりに床机を出して打ち水、夕涼みをしている。
なんて風景は素適だとおもうけど、いまは、もう絶えてしまった。
町屋ブームもそんな旧き良き過去への追憶も
ちょっと入っているんでは?とおもう。
けれど、この西陣でも機織の音はほとんど聞こえず、
織機を置いた土間は埃をかぶったまま。
年寄りの独り暮らしにはあまりに寒い。
で、400坪の土地が空くと、マンションだ。

船岡山は神が宿りたまう山なんだが、
標高111メートルの山頂に対して、
その75メートルの中腹から27メートルはやりすぎではないのか。
高野山でも恐山でも山頂を汚すばか者はおらんぞ。
京都の感性というのはその程度のものなのか。
地面の所有者はその上なら何してもエエんか。
京都市は法律にさえ適合してたらそれでエエのか。
法律にあっていてもその場所ではアカンということがないのか。
その建築物が果たして本当に「適正」なのか、というとこ。
その「適正」さは結局、市民の「常識」に訴えていくより外ないよ
うにおもう。

悲しいことに一番頼りの近所の人たちに
船岡山から葉っぱが飛んでくるからいや。みたいな
意見も根づよくあって、それならアンタのとこの樹の葉は散りませ
んか。
といいたいけれど、その程度の理解のひとが多い。
それにマンションが出来たら、人が来て町が活性化する。
とおもっている人がいるのも事実なんだ。

自分の町内に人がきて賑わうというのも結構なんだけど、
そういう場当たり的なものでなくて
平安時代にそれこそ船岡山の上に立って京都盆地を一望して
朱雀大路を通して右京、左京を計画した昔のひとのほうが
エライのではないか。
だいたい京都の街全体をどうしようという発想がないから
こんなテンデバラバラになってしまうんだ。
何十年かけてここはどういうにしていく、あそこはどうする
というようにしていけば、京都の街自体に魅力ができて
そこにひとが集まってくる。そしたら京都の物も売れる。
ビルやマンションですら景色や庭石となるようにしていかなアカン
やろ。
全部ひっくるめて京都という町が憧れをもって語られるようになる
には、
やっぱり船岡山も守ってやらんと。
明日も市役所に行ってくるつもり。

でも、高い値段で売れるんだろうねえ。
なんとかならんかな。



せ。