禅寺小僧

日々の記です。

今日は雨







雨でほっとするような感じやね。
今朝は本堂の中を箒で掃いて、廊下に雑巾かけてゆっくりしてた。
坊さんが時間に追い立てられてるのではアカンと思いつつ、も、
なかなか手がまわらないでいて、最近は畑にもゆっくりいけてなくて、
朝、庭のゴミを捨ててすぐ戻ってくるだけだし、植木も手を入れねば、
と思うだけ、になってる。なんでだろうかね?


http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm


大分のお寺で話した中に日航機事故のとき乗客の方が家族に宛てて書かれた
遺書のことについてふれたのだけど、実物を見ていなかったんで出かけて
いったんだ。


息子と娘、妻に宛てた、手帳の見開き4ページにわたって書かれたボールペンの
字は、乱れていて、壮絶な力に充ちあふれていた。家族への思いはなりふり構わぬ。


禅僧が死に際して自己の境涯を発露する漢詩である遺偈も、この手帳の殴り書きの
前には色褪せて、ものの数ではないような気がした。


人が本当に一生懸命になれるのは、素直に心情を吐露できるのは、死を意識した
瞬間だけなのか、とも思う。
先に逝くものが残された者へ遺した、共通のメッセージは
「しっかり生きろ!」
ただそれだけたった。







東京の知人宅に泊めていただき、次の日は子規庵に行った。
正岡子規が亡くなった部屋を尋ねる。子規のことも話したから。
見てきたようなことを話して、それから後で場所を尋ねるような
ことではあかんのやが。


東京で用事をすまして、茅ヶ崎の作家の旧宅を訪ねて旅の終わりにする。
もう帰ろうと思って出口に少し本を買っているうち、留守番の方々と話しこんで
しまい、そこを出て茅ヶ崎海岸に着いたときは、とっぷり日が暮れて、もう、
まっくらになりかかっていた。