禅寺小僧

日々の記です。



用事があると川に出かけるんやが、ここの河原は車が入れるところで、
(もちろん四駆のみ)最近あったかくなってきたら、いろんな人が
きたみたいで入り口のところにゴミが山盛りほったらかしてあった。
これはおもに2駆の人々なんやろうが。奥の四駆の入るところにも
ゴミはいっぱいで、まだ開けてない焼肉のタレであったり、まだ使ってない
炭、一回使った焼き網なども宴が終わったそのままの姿で置き去りに
されていた。なんと言っていいやら。。
どうせ一回、水が来たら海まで流れていくよ。
なんてセリフが聞こえてきそうなんやが。
(そういえば昔そんなことを言ってた人がいた。
大阪の人のとこに流したらエエやん。てね)


地球にやさしくっていうのが流行っているけど、地球温暖化にしても
とどのつまりは公害で、公害を出している加害者は悪徳企業でもなん
でもなく、私たち一般の市民自身がそれぞれ環境の悪化に加担してい
るわけですな。それぞれが被害者でありつつ加害者である。というの
が地球環境問題のおもしろいところでありますな。


どれだけあるかわからない、圧倒的な量と質量の砂利の河原が大好きで
遠くの旅にはゆけないし、インドのガンジスも叶わぬ夢であるのだけど
此処へ来て、夕陽が落ちてゆくのを眺めるのが、ささやかだけど贅沢で
あると、思っている。この日は生憎の曇りで太陽を拝むことはできなか
ったけれど、河原のあたたまった砂に手をついて、足を放り出してすわ
っていると、世間からも放りだされたようで、アレコレ考えることも必
要ない。堤防の内と外とは大違いで、風がビュンビュン吹きつける。
ツバメが虫を獲るのに飛び回っているのを眺めていたら気がつかない
うちにコウモリに替わっていた。街燈もなにもない広い空間に一人いて、
こんもりと小さな丘になったヨシの草叢と暗くなってゆく空をみていると
お化けがでてきてもおかしくないな。と年甲斐もなく思ったりする。