禅寺小僧

日々の記です。

遺影

hekigyokuan2006-04-07

 きょうはお葬式やった。町の真ん中の、細い路地を入っていった先のお茶屋さんで、繁華街の中心部で、まわりは小さいビルが多いけれど、しっかり守りつづけてこられた。場所柄、受付に座っておられるのは、喪服を着た日本髪の舞妓さんや芸妓さんだったし、お参りされる人にもそんな人が多かった。やっぱりこのあたりは、まだまだ厳しいんだな。久しぶりの自宅での葬儀で、ホールとちがって狭い部屋でお経をよんだ。
  
 おなじ京都でも、寺と色町では、話し方から、物腰から、まったく違うわけで、修行があけて、お参りで初めてお邪魔したときは、不思議な空間だったな。毎月、夕方になる前、ひとりでよせてもらって、世間話したり、お茶をいただいたりして、おばあちゃんにも、いろいろお世話になった。なんとなく、教えていただいたことも、数、多い。傍目からはわからないけれど、楽しみや苦労は、それぞれ、人知れず、なにかしら、きっとあって、口に出すわけではないけれど、やわらかく話した。きれいな死に顔やった。
    
 朝日新聞の夕刊に「遺影」というシリーズがあって、女性写真家がお年寄りを訪ねて、自分の名前にまつわる話だとか、一生をふり返る話などを聞きつつ、写真を撮る、というのがある、と教えてもらった。
「あんたもボーさんで、写真するなら、変なもん撮ってばかりるんじゃなくて、そんなん撮ったらどない?」といわれ、記事をみせられた。
「確かに、ね。」
普段撮っているスナップもいいけれど、遺影、というのもまたいいのかもしれない。誰か撮ってほしい人がいたら撮りますよ。それこそフィルム使って、暗室で焼くやつを。
  
 花の下で、春の日。