禅寺小僧

日々の記です。

四月の予定

2日、16日、23日、30日を予定しています。 
どうぞ、よろしくお願いします。
   
 昨日は昼まで仕事で、2時半くらいからちょっと出かけた。
現代美術にかなり疎い二人組みであったけれど、作者?といっていいのか
展示者になるのかわからないけれど、券をもらっていたので滋賀県立近代美術館にゆく。二十年ほど前のこのあたりは、広々としていて、渋滞もなにもなく、まっさらな道が通っているだけで、快適そのものであったけれど、今は手垢がついて、込み入ってきた。若くて新鮮な感じは薄れつつ、落ち着いてゆくのだろう。このあたりは、はじめて、という相棒が、
 
 「現代美術というのは、わからんなあ。生活と離れてるから、ますますワカラン。」
  
という。昔の絵とちがい、床の間に掛けて、お客さんと一緒に見て、誰が描いたんですか?実は私が描いたんですよ。。なんてことがないから、、。背丈の何倍もある巨大な長方形の石材を技とナナメに打ち込んだ、作品を見て言う。お前も風雪に耐えて、だいぶこの土地に馴染んできたんだけど。
   
 タイトルの「センシビリヤ」とは「感覚によって認識できるもの」ということで、美術館所蔵の戦後美術(造形作品)をソフトパッドのメンバーが、質と量にたよる美術館の展示方法とはちがうやり方で展示する、というものだった。まず、会場に入ると、ほとんど真っ暗で、そのうち眼が慣れてくると、ボーっとしたスポットに一作品が浮かび上がって、それがだんだん消えてゆくと同時に、別の照らしはじめられる、というものだった。作品はカール・アンドレコンスタンティンブランクーシ、アンソニー・カロ、ドナルド・ジャッド、ソル・ルイット、ロバート・モリス、リチャード・セラの7作品のみ。観覧料は800円。暗闇の展覧会であるから、作品の横には作者の名前も、作品のタイトルも、紹介の記事も書かれない。読むことも、考えることも、他人の眼を気にして解かったようなよう振舞うこともいらない、つまり、頭を使う必要の無い、見るだけでいい、展覧会だった。作者の声や経歴が気にならなく、説明の言葉を作品で確認する必要もない。べつの展示のときには、死体のように横たわっていた作品が、ここでは深く呼吸して、しっかりと根付いている。作者の情念が薄らいで、作品同志が空間と空気を作り出す。最後の細々としてメッセージを聞くけれど、それほど聞こえない。頭の中で鳴るようなその声が終わって、スポットが落ちると、観客の意識が取り残された。意識は崩壊したがる、闇に浮かぶ人影がいとおしく思えた。
  
 
 雨がやんだんで、ちょっとお参りに行ってきます。