禅寺小僧

日々の記です。

キンモクセイ

hekigyokuan2005-10-08

 花のネタが流行ってますな、、。。
子供の頃のはなし、実家からずっと奥のほうに入ってゆくと昔の
修験道者の修行場みたいなところがあって、そこは後醍醐天皇
一時お隠れになられた、という由緒あるところなんだけど、谷に
降りてゆくと立派な滝が二つあり、切り立った一枚岩の岩場には
鎖がぶら下がっていて、ここがなかなか手強い
難所でロッククライミングのスリルがあって、「手ェハナシたら、死ぬナ、、」
真剣に思えるところだった。そこの行場からの帰り谷沿いの道の田んぼにたわわに
実った稲と畦道一面の彼岸花だった、というのが原風景というのか、一つの忘れられない
光景だな。自然ではあまり見かけないような紅い色で眼に飛び込んでくるのだけど
ガラス細工の繊細さとあいまってこの世のものとは思えず、彼岸、向こう岸の、
あの世の花とされたんではないか、と妄想する。実際はお彼岸に咲くからそう呼ぶ
のだろうけどね。人は花を見てお彼岸が来たことを知り、心の中のあの人に手を合わして
偲ぶわけよ。向こう岸ではどうしてるかな、とか想像しつつ、あの人には色々影響されたな、とか。
        
 田んぼの肥えた土に稲穂が垂れ下がって地面にひっつきそうになってる。
ニョキニョキ出て来た彼岸花は見事な造形で女の髪につけるかんざしのように
美しくて妖しい。細い花に秘めた「紅い光」は畦道から田んぼへ滲みでていたように
思えてならないのは、記憶の糸を辿ってからだけではあるまい。



 子供ながらに「キレイな花だ。」と思い、畦を苦労して掘って球根を持って帰った。
庭に埋めておいたら次の年、花が咲いたけれど、秋の田んぼを切り裂いて血が滲み出して
いるような官能的な豪華さはなかった。それぞれ、似合う場所があるんだね。